2010年6月24日木曜日

馬の首

 平成になって間もない頃の、蒸し暑い夜のことだった。
 都内の大学に通う小嶋さんは、新宿駅から伸びる私鉄沿線のアパートに住んでいた。ロフト付きの割と広いアパートだったが、残念ながらエアコンはなかった。
 大学に入って一年目の夏なので、都内がどの程度の暑さなのか、勝手が分からなかったのだ。窓枠クーラーでも入れておけば良かったのだが、そろそろ帰省もする事だしと思うと、中々重い腰も上がらなかった。
 窓を全開にして、網戸にしていたが、空気は動かない。凪いでいた。その中で、小嶋さんは汗だくでゲームをしていた。横スクロールのシューティングゲームだ。
 小嶋さんの腕は、中々のものなのだが、今晩は細かいミスが多い。先刻から、背後の窓から視線を感じていた。ゲーム画面に集中できていない。
 だが、嫌だ嫌だと思いつつも、プレイ途中で振り返る事も出来ずにいた。ポーズボタンを押せばいいのだが、難易度の高いシーンで中断するのは緊張が途切れるので、避けたかった。後のプレイに響くのだ。
 だがその時、網戸がミチリと音を立てた。
 ミチ、チリ、チリ——
 網戸をゆっくりと力をかけて圧すと、そんな音がする。
 コントローラーを放り出し、小嶋さんは思わず振り返った。テレビでは、自機の破壊されたことを示す、派手な爆発音が鳴っていたが、それも耳に入らなかった。
 最初に見えたものは、緑色に光っている二つの丸いものだった。目だ。光に照らされて、緑色に反射していた。猫の目だと思ったという。だが、猫ではなかった。
 次第に目が慣れてきた。真っ暗闇をバックに、黒い何かが浮いていた。
 二階の窓に嵌った網戸のすぐ外に、真っ黒な馬の首が浮かんでいたという。

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