2010年6月24日木曜日

ホームの端へ

 五味さんの帰宅中、乗換駅での話である。
 その日は仕事の関係か体調のせいか、ずいぶん疲れていた。普段から人いきれが苦手な五味さんは、いつも先頭から二両目に乗る事にしていた。階段の近くよりも混雑が緩いからだ。別に後は家に帰るだけなのだから、急ぐ必要も無い。のんびり帰って、家に着いたらシャワー浴びて寝よう。そう思っていた。
 その駅で五味さんの最寄り駅の路線に乗り換えるには、ホームから階段を上り、一度改札を出なくてはならない。階段を目指して、人の波がゆるゆると流れて行く。
 すると、その人たちの間を縫うように、一人の青年がホームの端に向かって逆走していく。人を掻き分ける、というよりは、すり抜けるようにして走って行く。
 青年は急いでいる様子だが、もう五味さんが乗って来た列車は発車している。急ぐ必要は無いはずだ。そして、青年がぶつかりそうになっても、誰も避けようとしない。まるで青年が見えていないようだ。
——ああ、お化けなんだ
 五味さんは、その日の体調次第で「見え」てしまう。最近は見る事自体少なくなっているが、その日は余程疲れていたのだろう。
 お化けに関わって良かった事など、今までに一度も無い。見えない振り見えない振り。
 五味さんは無視を決め込んだ。
 エスカレーターと階段がもう目の前にある。迷わずエスカレーターの列に並んだ。
「落としましたよ」
 後ろから女性に声を掛けられた。飛び上がる程驚いた。振り返ると、良い身なりの中年女性が、五味さんのハンカチを差し出していた。ポケットから無意識に定期を出そうとして落としたようだ。お礼を言って受け取る。
 ただ、その時五味さんの視界には、件の青年が入り込んでしまった。青年はホームの端まで走っていき、そのまま何も無い線路に飛び込んだという。

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